中村卓矢さん
ファッションデザイナー
[自己紹介]
皆さんこんにちは あるいは こんばんは
北中城村で中村洋装という洋服屋をやり始めて20年以上になります
お客様からどんな時に着たいか?とか
どんな風に着たいか?とか を話し合ってその人だけの一点限りの服を制作します
どんな風に着たいか?っていう
着る人のその時の気分がファッションだと思ってるので
私たちは着る人自身の生活様式までイメージします
そうする事で永くたくさん着てもらえる服になるし着る人自身の精神的な着心地の良さを作り出せると思います
◆中村卓矢さんのFacebook https://www.facebook.com/yoso.nakamura
interview
Q学校はどんな場所でしたか?
友だちがたくさんいる場所でしたね。自分がおもしろいと思っていることを常にやり続けている友だちがいました。自分には熱帯魚、モデルガン、ラジコンカーなどいろんな興味分野があったので、このジャンルはこの友だち、別のジャンルは別の友だち、というふうに、いろんなグループを点々として話を楽しんでました。グループによって盛り上がる話題も違うので、自分が話したい話題に応じて、グループを訪ね歩く感じでした。「このことは誰に聞いたらいいんだろう?」ということも考えていましたね。それから中学3年の時の担任がすごい人でした。生徒のために一所懸命というか、一所懸命という言葉が安っぽく感じられるほど、誠実に仕事をしている人でした。生徒のために身銭を切る人でしたし、「生徒の人生を自分は背負っている」という思いが伝わってくる人でした。
Qお気に入りの居場所はありましたか?
それなりにありました。
Q中高生の頃、目標にしている大人いましたか?
他人のために自己犠牲できる中学3年の時の担任の先生ですね。それから、父親に影響は受けましたね。村議をしてたんですが、学歴にこだわらず、「やりたいことをやるために自分はどうするか」、を大事にする人でした。母もそんな人でした。子どもの興味関心を伸ばそうとする人でした。高校生の時に、洋服のセールがあると、せいぜい1万とか2万を握りしめて出かけてたんですが、ある時母が「全部使い切ってこい」と10万円渡してくれたんです。その時に自分は何をセレクトしたらいいのかを真剣に考えましたね。それが服飾の世界に入る最終的なきっかけになりました。
Q中高生の頃、不満や悩みがありましたか?
大人への不満はあんまりなかったです。そもそも、口先だけの人とか、嫌な感じの大人とは関わらないようにしていたからだと思います。どうしても関わらなければならない時はそれなりの付き合い方をしてました。正面から付き合ってしまうと、エネルギーを使って、疲れてしまうじゃないですか。だから、大人との距離のとり方とか、付き合い方は重要だと思いますよ。自分が壊れるくらいだったら関わらないほうがいいです。それは逃げとは違うと思います。
Q今の自分と中高生の頃の自分で大きく変わったことはありますか?
自分が描いた四コママンガをほめてくれるお姉ちゃん的従姉妹がいたから、人を喜ばせるということを知ることができました。10歳くらい年上の従兄弟からは、自分の世代ではまだ知らない音楽を教えてもらいました。そういう刺激が今の自分のベースになったんだと思います。興味関心を伸ばすという点では、同年代の友だちに助けられてきた部分が大きいですね。父も母もやりたいことをやらせてくれる親でした。母は服飾デザイナーでしたし、父も元々は音楽関係の仕事を志していたかったけどその仕事に就けなかった人だったので、自分の子どもには好きなことをやらせたいと思っていたようでした。周りの環境に育てられたキャラクターですよ、自分は(笑)。今でもみんなに助けられてます。
Q 中村さんの仕事をひとことで言うと?
洋服で着る人の生活を彩る仕事です。具体的には洋服のデザイン、製作から販売までのすべてをここでやってます。
Q仕事の内容は?
着る人の個性を引き出すことですね。主役は着る人で、洋服は脇役。仕事を依頼された時点で、どう引き出すかを考えます。その人はどんな仕事をしているか、コーヒーカップをどちらの手で持つか、腕時計はどっちにつけてるか…。ほんとうは、利き腕で胸ポケットの位置も変えたほうがいいんです。仕事についても話を聞きます。たとえばその人が先生だったら、黒板に向かうことが多いから、背中にポケットとか、おもしろいアクセントをつけたりします。そうすることで、「先生、なんでそんなところにポケットついてるんですか?」って、生徒との間に自然にコミュニケーションが生まれてくるじゃないですか。それから、精神科医みたいにカウンセリングの力も必要ですね。自分の場合は、20代の終わり頃からお客さんといかに接近して、パーソナルなものを見つけて、服づくりにどう活かすかを自分の仕事の基盤にしてきました。作り手に「売らないといけない」と思われることほど洋服にとって不幸なことはないし、そうなるとクリエティブな仕事はできないんです。だから一人ひとりを大切にするように、仕事の方向性を変えたんです。
Qこの仕事を選んだきっかけは?
この仕事をしたいと思ったのは14歳の頃。本屋に行くとスポーツ雑誌のコーナーに向かう友だちを尻目に、自分は女性ファッションのコーナーに行ってたんですよ。ある日、雑誌を広げたらTOKIO・KUMAGAIが紹介されてたんです。新しすぎて「カッコいい」という価値観に収まらない洋服でした。東京コレクションの特集でしたけど、ああ、こんな服があるんだなと、興味を持つようになりました。
Q仕事につくためにどんな準備が必要ですか?
洋裁技術や型紙作り、布の選び方などを知る必要があります。一番早いのは自分に合った学校に行く事だと思います。
Q人生の中で仕事が占める割合は?
ほぼフルコミットしています。
Q仕事に必要なものは何ですか?
同じことを続けられることですね。自然体であることが続けるためには必要です。『MRハイファッション』という雑誌のインタビューで「世の中で一番すごいことは何ですか?」と聞かれたミュージシャンの忌野清志郎が、やっぱり「続けることです」と答えていました。
Q仕事以外で大事にしてること、熱中していることはありますか?
自転車を続けてます。自分の場合自宅と職場が同じなので通勤距離がゼロなんです。1日に歩くのもミシンとアイロンの往復距離だけで、100m歩いてるかどうかだったんです。だから強制的に自分を外に出す装置を作ろうと思って、ロードバイクを買いました。そうしたらハマってしまって、もう25年経ちました。自然界の一部になれるし、木に留まっていた鳥が、自分を見つけると、自転車と一緒に並走してきて、視線が合ったり、非日常的体験ができるんですよ。仕事に行き詰まった時には迷わず自転車で走ります。死ぬまで洋服作りからは逃れられないですから…。
Qおもしろいことを見つけるのが上手なようですが、どうしたら発見できるようになるんですか?
努力するわけではなく、自然にだと思います。好きなことってがんばってやるものではないですよね。興味が出てきたら、本とかカタログを調べたりとか、そうやって、覚えていったり…。「努力すればやりたいことができる」という大人がいるとしたら、そういう人が子どもや若者の芽をつぶしているんじゃないですかね。好きなことをやっている人は続けることを努力とは思っていなくて、楽しいからやり続けているだけだと思うんですよね。洋服のコーディネートも同じですよね。自分は「この服にはこれを合わせたほうがいいですよ」というアドバイスができないんですよ。着る人が合わせたい洋服に合わせるのが一番で、こうでなきゃいけないというものはないはずなんです。主役はその人ですから。ここのお客さんも、自分なりの着こなしとか、自分の世界観がある人が多いです。
Q自分らしく生きるためには何が必要だと思いますか?
表現しようとするモノやコトに妥協しない精神です。
※このガイドブックは公益社団法人金秀青少年育成財団の助成を受けて制作されました。